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好きで、好きで、好きでたまらなかった。 お前が居てくれさえすれば、おれは他になにも望まない。 それでも、それすら望めなかったのは、拒絶もあったけれど、なによりも変化が恐ろしくて。 変わってゆく日々が、環境が、自分が、お前が―――ただ、怖かった。 |
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渋沢が女と歩いているのを、見た。 彼女は確か、駆け出しの雑誌記者で、渋沢から話を聞いたことがあった。 2人は終始楽しげに会話していて、声など掛けられようもなく、おれはただ静かにそこを離れることしかできなくて。 おれはいつでもあいつの傍から離れるだけの覚悟は出来ている―――などと、口にするのは簡単だったが、それが段々と現実に近づくにつれて確かな不安を感じている。 結局は口先だけなのだ。渋沢と―――渋沢が愛した女が幸せそうに暮らすのを、傍らで見ながら自分も生活することなど決して出来やしないことは解りきっていたことなのに。 ――そうだ。 あのときと一緒だ。当面必要な物だけを持って、あいつに黙ってここを出て行けばいい。捨てられるぐらいなら、こちらから切り捨ててしまったほうが楽なのだから。伝言も行き先も一切残さず、あいつが居ないときにそっとこの部屋を出て行けばいいだけだ。 そう、あの時のように。 おれが初めて自覚した恋心というものは、雑誌やテレビで仕入れた情報とは若干違っていた。 恋した相手が、自分と同じ男であったというのがひとつの要因ではあるだろうけれども、それとは別に映像のなかの『恋』たちは、なにもかもが随分と楽しげで、そんな『恋』をしている人たちはドキドキしたり、ワクワクしたりと時には悩みつつも、まだ結ばれていない段階ですらどこか幸せそうだった。 なのに自分はどうだろう。 あいつを好きだと思うことがあっても、それが楽しかったことなど一度もない。いつも苦しくて、つらくて、『恋』がこんなにしんどいものであるならば、おれはいつだってやめてやる!としょっちゅう思っていた。 おれはこんなにお前のことが好きなのに。 お前がいなければこの世界など、生きている価値すら見出せないのに。 ……そう、どれだけ思っても、おれとあいつの想いが交錯することなどありえないから。だからあの時、おれは逃げたんだ。あいつのそばから。 −−−−−−−−−− 高校生としての3年間は、短かった。 同じだけの年月を過ごしたはずなのに、長くてだるくて、何もかもが面倒だった中学生活とはすべてが違った。 それもこれもあの男、渋沢克朗がいてくれたからなのだと今では解る。 閉じていた自分に、人と関わる楽しさを教えてくれたのはあいつだったし、あの歳で既に十分すれていたおれに、真っ直ぐな視点というものを与えてくれたのもあいつだった。 他人と関わるのは、本当は嫌だったけれど、あいつが言うから、そうした。 無理にでもガードを下げて、他人の輪の中でも明るく振舞った。―――渋沢が、言ったことだったから。 きっとあいつは、おれのことが面倒になったのだろうと思った。 根暗で、卑屈、人見知り。やはり、こんな自分を愛してくれる人間などいやしないのだ。 ……血の繋がった親でさえ、そうだったのだから。 嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!! 渋沢がおれじゃない誰かと仲良くするなんて! 渋沢がおれ以外の何かを大事にするなんて! 渋沢がおれの生活から消えてしまうなんて! そんな些細なことですら嫌だった、嫌だったけれど。 そんなことより、何よりも怖かったのは。 ―――渋沢がおれのことを嫌うことだ。 あいつにだけは、避けられたくない。 あいつにだけは、こんなおれを知られたくない。 あいつにだけ、愛されたい。 本当は、渋沢を自分のものにしたかった。自分の腕の中に閉じ込めて、おれ以外の誰も見ないように、おれ以外の誰とも口をきかないように。 あいつの世界をおれだけにしておきたかった。 でも、そんなことは出来やしないから。 こんな醜いことを考えているなんて、知られたくなかったから。 おれは、あいつから逃げ出した。 「、進路希望の紙、書いたのか?」 「ああ。●●大学の文学部にした。さっき、提出してきたよ」 声は震えてなかったか?いつもの様に話せているか?―――おれは、笑えているか? 実家から通える、近くの大学にしたと渋沢には伝えたが、本当は嘘だった。本当は、ここから随分と離れた関西の大学で。 おれは成績だけは良かったから、どうしてそこなのかと教師には嘆かれたけれど。 (どこだって、良かった。―――渋沢が、いないとこならば) 「……そうか」 「そっちは?―――ああ、聞くだけ野暮だったか。Jリーガーさま」 軽口でも叩いていないとやってられなかった。 今まで渋沢に嘘をついたことなんてなく、罪悪感でいっぱいだったのもあるけれど、同時に耐えられなかった。これからのおれの人生に、渋沢が関わることがなくなるということが。 自分から切り捨てておいて、まだその手に縋ろうとする自分が、ひどく惨めだった。 「からかうなよ。それに……まだ決めたわけじゃない」 「――? チームをか? まぁ、スカウトの数、すごかったからな。入れ食いってやつだ、渋沢」 「いや――ああ、そうだな。こんなにモテたのは人生で初めてだ」 「よくいうよ!おれ、下駄箱からチョコとかプレゼントが溢れ出てるとこなんて、漫画でしか見れないと思ってたよ」 「いや、うん。あれは俺もびっくりしたな」 「それに比べておれは!義理チョコですら貰えりゃ御の字だっていうのに」 バレンタインなんて日が、心から憎いなんて思ったのは、初めてだった。部屋に充満するあの匂い―――チョコは嫌いじゃなかったはずなのに、胸くそが悪いと心底思った。 (こんなものを贈ったやつらは、みんな消えてなくなればいい―――そうすればきっと、渋沢はおれだけのものになる) 机の上に置かれた袋に目が行った。渋沢は今いない。部活のことで話があるのだと、さっき部屋を出て行ったところだ。 チョコの山の一番上、きれいにラッピングされたものが目に留まり、衝動的にそれを掴んでゴミ箱に投げ入れてやろうと振りかぶる。 こんなものさえなければ! こんなものを渡す奴さえいなければ! こんなものを渋沢が受け取らなければ! 渋沢はおれのものになった―――だろうか、いやきっとなりはしない。自分でも解っている。いまのおれがどんなに醜いか。 嫉妬しているから、とかそんなんじゃない。いまのおれの行為は、人間として最低だ。もし本当に、このチョコレートがおれの手から離れて、ゴミ箱の中に入っていたら、今度こそ本当にあいつは、おれを見離すだろう。 震える手で、元のようにチョコレートを山の一番上に戻した。そのままベッドに飛び乗りふとんに潜りこむ。 こんな感情は初めてだった。それが、今のようにたまに、大きな奔流となって自分を襲う。このままではいけない。その流れにのまれたが最後、おれはもう人ではなくなる。それでは困る。おれはまだ、人間でいたいんだ。 だって、そうでもなければ、残された半年ですら、渋沢と一緒にいられなくなるから―――! 残された日々は、あっという間だった。 勉強ぐらいしかやることはなく、受験当日までひたすら勉強した。 もともと本命(渋沢に教えた、嘘のほうの大学)からいくつかランクを落としたところだったから、さほど苦でもなく、恐らく受かっただろうという手ごたえがあった。 本命のほうの受験も、渋沢に怪しまれないように一応受けた。こちらにも手ごたえは感じたけれど、受かったところで行く気などまったくないのだから、意味がなかった。 卒業旅行だとか、卒業アルバムだとか、周囲は浮き足立っていたけれど、それに反しておれはどんどん滅入るばかりで。 今さらになって、渋沢に嘘をついた罪悪感だとか、本当に渋沢と別れてしまうんだなとか、いろいろ考えることが多くなればなるほど不安的になるばかりで、ただ、惰性のように残された日々を過ごすだけ。 卒業式当日は渋沢と最低限のことしか話さなかった。目も、自分からは合わせなかった。 ただ、意識だけをそこに全集中させ、ああ今あいつは笑ってるな、とか、ちょっと泣きそうになってるなとかそんなことばかりを空気で感じていた。 「なんだ、もう泣いちゃってんのかよ〜」 「えっもうかよ、まだ式前半だぜー?」 「うるさいな、おれは感受性が人一倍ゆたかなんだよ!」 彼らとは、渋沢を通して知り合った。渋沢がいなければ視線すら合わせなかっただろう。 春からは独りだ。渋沢に頼らずやっていかなければならない。 独りで勉強して、たまに人とつきあって、そうやって日々を過ごすのだ。 そこに渋沢はもういない。―――そう思うと、涙が出た。 ……それほどの決意をもって迎えた春は、まったく無駄ともいえた。 なぜなら、あれだけ忘れようと努力した顔が、おれが進学した大学にいたからだ。 「……な、んでお前がここに……!?」 「ん?ああ、Jリーグには大学卒業して入るつもりだったんだ。もっと視野を広げることも大事だと思ってな。言ってなかったか?」 「聞いてない!!」 「そうか。でもまあ、も俺に進学先を教えなかったんだからおあいこだよな?」 「っ!―――クソっ!」 むかついた。おれが決死の思いでした覚悟を、こんなにも簡単に無駄にした、渋沢に。 そして、そんな渋沢を絶対に嫌いになどなれない、自分に。 本当は嬉しかったから。 この男とまた一緒に暮らせるということが。 この男と、まだ離れなくてもいいということが。 −−−−−−−−−− 手当たり次第に荷物をバッグに詰め込む。 仕事はパソコンさえあればどこでもできる。 それより、一刻も早くこの部屋を出て行かなければ。あいつが帰ってくる前に。 いまあいつの顔を見てしまったら、決心が鈍るから。だから、早く。 「こんな時間にどこへ行くつもりだ、」 060414 |
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