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たぶんお前が俺を好きになるよりも前に、俺はお前のことが好きで。 たぶんお前自身よりも、俺はお前のことを解っているはず。 独占欲などという言葉ではおさまりがつかないほどに、 俺はお前を欲している。 |
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2.Parallel line
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目の前で深い眠りについている男の前髪をそっと触る。 脱色やパーマを知らない黒檀の髪は、今も変わらずさらさらと、とても手触りが良かった。 この男――――は、俺には真似できないレベルの限界ギリギリまで仕事をするが、終わってしまえばスイッチが切り替わるかのように深い眠りにつく。 それこそ、キスなんてしたって起きないほどの、深い、眠りに。 もともと、この男はすべての感情を内に溜めこむくせがあり、そしてどこまでが許容範囲なのかが本人にすら解ってないので、そこがこの男の極めて厄介なところなのだ。 影を落とすまつげを見つめていたら、「」と、つい声が漏れた。 「―――昼ご飯は机の上、夜ご飯は冷蔵庫の中だから」 聞いてはいないだろうと思いつつ、一応告げてみる。すると自分でも驚くくらい、優しい声が出て苦笑する。いつも頭の中に浮かべている光景と真反対の行動が出来るなど、やはり10年近く被り続けてきた猫は半端じゃないのだ。 もう、何年になるのか解らないほどこの男と一緒にいるが、初めて出会ったときからこの男はまったく変わらない。他の人間の前では頑ななまでに気を張るくせに、俺の前だけはいつだって無防備で。 今までどうやってこの情動を押し殺してきたのか、全然解らない。今は無性にこいつを抱きたい。 ・・・いや、違う。 今も、だ。今も、いまだに、俺はを抱きたいと思っている。 がかすかに身じろぐ。 俺はの薄い、でも形の良い唇にキスを落とすと静かに部屋を出て行った。 はそろそろ気づくはずだ。 俺の優しさが、無償ではなく、それどころか甘い毒まで含んでいるということに。 ただ、絶対に自分からは仕掛けてやらないけれども。 自惚れなんかじゃなく、が俺のことを好きなのはとっくの昔に気づいているから。 こいつから仕掛けてくるまで、俺は絶対に尻尾など、掴ませない。 −−−−−−−−−− サッカーばかりやっていた中等部から、高等部へと進学しても特に周囲に変化はなく、今までと同じサッカー漬けの日々だった。 唯一変化があったのは寮でと出会ったことだと思う。 俺がいた寮というのが運動部専用寮であり、文字通りそこは、武蔵森学園高等部に数あるクラブのなかで運動部に所属する者のみが入寮を許可される。だというのには過去に大した成績も持たず、またこれから残そうという姿勢も見せないまま、籍だけを陸上部に置いていた。 不思議なやつだというのが、俺がに対して思った第一印象だ。 同室だということで、自己紹介をしてみても、は大して気にもしていないふうで「そうか」とだけ答え、同じように簡単に自己紹介を返してきた。 興味を持たれていないのは視線で解ったが、完全に独りになりきれない、そんな顔をしていた。見た目で人間性を判断するわけではないのだが、まず容姿は良い部類に入るだろう。そして、体つきは少し細いのが気にはなったが、貧弱というほどでもない。 ただ、ひとつだけ、目つきが気になった。それが悪いとかいうのではなく、ただ瞳がどこか暗かった。淀んだ水溜りの底を思わせるような、そんな。 あとから聞いた話によると、あの頃が特にの家庭が揉めていたようで、またその原因の一端がにあると彼自身は思っていたようで、身の内に溜まっていくストレスを自分でも持て余していたらしい。 の家庭内事情については俺も詳しくは知らないし、聞こうとも思わなかった。それは気にならないといえば嘘になるが、俺自身そんなヘヴィな話題に直面したのは初めてで、もし話を聞いたところで力にすらなれなければどうしていいか解らなかったからだ。 それでもはたまに堪えきれなくなるかのように、ふつりふつりと泣き言とも愚痴ともつかない胸の内に堪っていくわだかまりやしこりを吐き出すのだ。 ベッドでうつ伏せになり、空気を吐き出すように。ただ、それをするのがいつも2人きりの寮部屋だということから、は『俺に』助けを求めているのが解った。 助けといっても大したことをしてやるわけでもなく、黙って聞いて時には相槌を打ってやり、彼自身がどうしたいのか、どんな答えだと自分が納得できるのかを気長に待ってやるのだ。たったそれだけのことで、初めて出会ったころの中に存在した、心の柵のようなものは次第に姿を隠していった。 の心の柵は、一種の境界線のようなものであり、そのラインが曖昧になると彼はひどく弱くなる。 例えば、俺がいい例で、ラインを越えてしまった人間は、にとって無条件で信頼に値する『特別』、と見なされるらしい。 あいつはあの容貌で、一般生徒とは違う特殊例として寮に在籍していたこともあるから、周囲はのことを遠巻きに見ていただけで、実は誰もがと話したがっていた。近づきたがっていた。誰もが、の『特別』になりたがった。 当初は俺に隠れてあまり自分を出さないだったけれど、時間を掛けて行くうちに少しずつ他人との接触をはかるようにもなった。 だから境界線が曖昧になるとはたちまち人気者になったのだ。 最初のうちはの世界が広がるのいいことだと思って見守っていたけれど、いつの間にかそんな気持ちはなくなった。むしろ、が自分以外の他人と話しているのを見ると、どこか胸の辺りがざわついてひどく落ち着かなくなった。 面と向かってに話しかけて来るような女はまだ良かった。本気と遊びの区別がちゃんとついているからだ。むしろ、厄介なのは影から真剣にのことを見つめる女だった。そういう女の言葉は重く、それだけににも真剣さが求められるからだ。 その思いが真剣であればあるほど、送り主への憎悪がつのった。 の留守中、下駄箱や机に入れられるプレゼントや手紙の類はすべて捨てた。バレンタインのチョコですらのもとには渡らせなかった。 だからあいつは、ずっと自分がモテない人間だと思い続けている。 そうまでして俺がと他人との接触を拒んだのは、誰にも懐かなかった野良猫が俺にだけ懐いたような、そんな優越感が当初の俺にはあったからだ。俺だけがの『特別』で、だからこそが俺以外の人間と仲良くするのが無性に気に入らなくて、そして許せなかった。 だってそれは、自分がに裏切られたような、そんな。 そうやって、一見が大勢の人間と仲良くなるように仕掛けていると見せて、実はの世界を俺自身で狭める。 が、俺以外を見ないよう。俺以外の人間に頼らないよう。 俺以外の人間がラインを越えないように。俺だけが超えることの出来たの世界に入られないように。 だから俺は、を必死に見張っていたのだ。 −−−−−−−−−− ―――今でこそ、それは若気の至りで、ずいぶんと自分勝手な感情を押し付けていたものだなと思えるが、それと同時に多少は改善されたであろうものの、当時となんら変わりはないような感情をいまだに持ち続けているのも、また事実であって。 は俺のことを「大人」だと評して、「子供」扱いされる自分を厭っているが。 決して俺だって「大人」だといえるほど立派な振る舞いは出来ていないのだと思うと苦笑いがこぼれる。 あの細い腕を掴んで引き倒し、あの白くてやわらかそうな咽喉もとに噛み付いたら、あいつはどんな顔をするだろう。 俺の欲望のすべてをぶつけたら、あいつは、は、どんな声を―――洩らすのだろうか。 まさか、それを本当に実行に移してしまえば、今まで掛けた月日と努力がすべて水の泡になるのが解りきっているから、そんなことは決してしないが。 力技で手に入れるのでは意味がないのだ。 が、自身の意思で俺のものになるのだと決めなければ。 四六時中、考えているのはあいつのことばかり。 −−−−−−−−−− 「渋沢。・・・合宿、終わったのか」 「ああ」 「これからの予定は?」 「・・・・・・当分は、家にいるよ」 「――――そ、か。じゃ、安心だ」 の態度に変化がみられたのは俺がチームの合宿で家を1週間弱程度空けた後だった。 その間にあいつが何を考えたのかは知らない。 まぁ、大方予想はついているが。どうせまたつまらないことを考えて、でもそれが俺がらみのことだから、なおざりにも出来なくて、また俺絡みだからこそ俺にすら相談できるはずもなく、悩んでいるのだ。 いまのあいつは不安定な一本の棒に立っているようなもの。 ぐらついてぐらついて、それでも少しずつ前に進んではいるが、その選択が果たして正しいのだろうか、と心配になっている。そんな感じで。 早く堕ちてくればいいのに、と俺はいつも思う。 お前から俺の腕の中に堕ちてくるまで、俺たちの関係はずっと平行線を辿る。 だから。 だがそれを声にも顔にも、態度にすら出しはしない。 決めるのはお前だよというスタンスを決して崩すことはなく、ただ苦しむあいつを見つめているだけ。 運命なんて、俺は信じていないから。 最後の選択はお前の、自身の手で選ぶだけ。 もう外堀はほぼ埋まった。 あとはお前がこの世のしがらみを何もかも捨てて、俺を、選ぶだけだ。 070129 |
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