自分が傷つくことなど怖くはない、と。

それを盲目的なほどに思ってしまうことのできた自分は、まだ幼かった。

きっと彼を―――彼に惹かれて、恋という感情の自覚をしてしまったとき、裁きは下った。

・・・の、だろうと思う、と結局は推測でしかないのだが。

だってそうだろう?
自分が想いを自覚してから、彼の人生は一変してしまい、彼の愛するものたちを次々と奪っていった。
それが彼に下ってしまった裁きだと、知っているものは自分と、もうひとり。

レックナート様が俺に紋章を宿したそのとき、隣にいて、幼い子どもながらにその言葉を、契約ともいえるその呪いのような言葉を聞いていた―――ルック、だけだ。



―――ふ、と小さく息をはき、窓から見える夕闇を見つめた。

すぐに後ろに人の気配を感じた。
しかしその気配が自分のよく知っているもので、それがまたひどく懐かしいものだったので、振り向かずにいた。

ただ、今日は客人の多い日だ、と苦笑して。

するとその気配の持ち主は、ベッドに座るに後ろから近づき、そっとの頭を抱えた。


「アンタ・・・まだ引き摺ってるの、あいつ・・・のこと」
「・・・ルック・・・聞いてたのか」
「聞こえたんだよ」


「そうか、」と呟くと彼はの頭を抱えていた腕をそっと下ろし、首にまわす。
ルックの部屋は隣だから本当に聞こえていたのかもしれない。
たとえルックが故意に聞いていたのだとしても、怒るつもりは毛頭なかったが。


「ねえ、・・・君は、どうしてここに?」
「・・・だから言ったろう?厄介払いだよ」


「レックナート様お得意の、ね」と続けて薄く笑うと、彼の腕に力がこもった。


「誤魔化すなよ!はいつだってどこかに出かけてるじゃないか!それのどこに厄介払いなんてする必要があるっていうんだ!呼び出されたんだろ!?レックナート様に!!を審判しろってさ!!」


ああ、しまった。少し冗談を言い過ぎたかな。
彼は怒っている。人前では滅多に・・・いや、絶対に感情を露わにすることなんてない彼が。
アンタ、ではなくと。と名前を呼んでしまうほど。


「・・・ごめん、ルック。調子に乗りすぎたね。そう、俺がここに来たのはルックの言うとおりだよ」


首にまわされたその腕に、は優しく触れた。
彼はなにも変わっちゃいない。いくら成長しても、いくら大人びた態度を取っても。
の知っている、幼く愛しいあの、少年のままのルック。


さまは・・・今度の選定者は、きっと大丈夫だよ。だって、ルックもルックも、みんな彼のことを大切にしている」

ルックはの肩に顔を埋めたまま動かなかった。
にはその体温がとても心地よかった。

だから、返事など返ってこなくても、自分は幸せそうな顔をして話すことが出来る。


「きっと・・・公正な判断が下されるはずだよ」
「僕は神なんて信じちゃいない。だってに裁きは下ったかもしれないけど、には・・・」
「俺にも下ってる」


ルックの言葉をさえぎり、は一言ポツリと言った。
その言葉は、あえて感情を込めない風にも、ルックをあやし、諭すような風にも聞こえた。

淡々とは言葉を続ける。


「・・・が、闇に染まっていくのを止めることが出来なかった―――それが俺に与えられた裁きだ」


ルックが息を呑んだ。
そのまま2人は押し黙り、時間の経過が解らなくなるほどそのままでいた。

窓から入ってくる風は涼しかったが、ルックの体温が暖かく、寒さは感じなかった。


「・・・さまには、特別な感情を抱かないよ。大丈夫だ、安心して」


もう、あんなのはだけで十分だ。

こんなにたくさんの人に大切され、護られ、そして誰よりも辛く悲しい運命を背負ってしまった彼を、罪人にさせるわけにはいかない。

彼を失うわけには、いかない。


自分の命と、なんて、比べる価値もないものだが、こんなものが少しでもの救いとなるのなら、は喜んで捧げるだろう。


「―――だから、『俺はあなたに使われる立場なんですから』?」
「・・・どこから聞いてたんだ?」
「聞こえたんだよ」


そうか、と笑うとルックは照れくさそうに身を捩じらせた。
続けて首にあった腕は、少しずつ下におりてきて、そっと抱きかかえるように腕が体を包んだ。


「・・・、僕じゃだめ、かい?」


搾り出すように呟かれたその声は、酷く掠れていて、は少し苦笑した。

知っていたのだ。
彼が随分と前から、自分に特別な感情を抱いていることは。

それでも、彼にはまだやらなければならないことがあると解っていたから、自らレックナート様の元を離れ、各地を旅した。

彼の抱くその想いが、幼い想いで、少しの間離れてしまえば、自然と冷めていくものだと、そう思っていたから。

それでも、自分で勝手に決め付けたそれと、ルックの想いは違っていたようで。
その点だけは、大人になっていたのだと訂正してやらなくてはならないだろう。


「僕ならに愛されても罰が下ることはないし・・・そしてなにより僕は、」


が好きなんだ―――!」とルックは消え入る声で続けた。
その声はの体を縛り付ける、魔法のような、呪詛のような言葉だと、ルックは気づかずに。


「・・・それでも俺は、」


言葉が途中で途切れたのは、ルックにその続きの言葉を吸い取られてしまったから。
苦しそうに眉根を寄せ、かたくまぶたを閉じたその姿に苦笑いをひとつして、もまた、まぶたをゆっくりと下ろした。





「・・・、僕はずっと、君が好きだったんだ・・・!」


情事の間、ずっと、ずっと、飽きるほど囁かれたその言葉。
少し上擦り、熱のこもった声が、いつもの冷静な時の声とあまりにも違うのでは驚く。

その声に言葉で答えてやれないのは悲しいことだった。
けれど、その分、からだだけは正直になってやろうと、もまた夢中になった。


ルックの魔法のような言葉は、一晩中の耳元で囁かれた。






+++

ベッドの上で裸の上体だけ起こして、白けた外の景色を見つめながら、は自分と同じ姿で隣に眠る少年の髪を指で梳いた。

茶色くて、真っ直ぐなその髪は、しばらく見ない間に随分と伸びていた。
3年近くも離れていたんだから、当たり前か―――と薄く微笑むと、少年の顔を見つめた。


「それでも俺は、君を一番に想うことさえ出来ないんだよ―――それでも?」


小さく独りごちたその言葉は、静かに空気に溶けた。


もう一眠りしようと、は体を横にして、自分とルックに肌掛けの布団を掛けなおした。
いつもなら昏々と眠っている時間帯だ、睡魔はすぐにやってきた。

隣にいる少年から、懐かしい匂いがして、それに安心してしまったから―――かも知れなかったが。



からすぅすぅと小さな寝息が聞こえ始めると、隣で眠っていたはずの少年は目を開けた。

白い肌にいくつも散った紅い花弁を指でなぞると、がくすぐったいような、艶っぽい寝息を漏らしたので、その声に満足したかのように笑ってまたひとつ、新しい場所に花の痕をつけた。


「それでも―――それでも。僕は君を愛しいと想うよ」



君にかけられた紋章の呪いを、僕はいつか必ず解いてやる。

―――もし、解くことが出来なければ、君か、僕かの、どちらかが死に逝くときまで、離れないと誓おう。

それがどんなに愚かな選択だとしても。







幸せを、


君に
あなたに
みんなに


幸せを願う、すべての人に








Buona fortuna!











 





* postscript
タイトルはイタリア語で「幸運を」だそうで。

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